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浦和地方裁判所 昭和60年(ワ)314号 判決

原告 甲野一郎

〈ほか二名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 清水徹

同 中川明

被告 乙山春夫

被告 入間市

右代表者市長 水村仁平

右被告乙山春夫及び同入間市訴訟代理人弁護士 藤倉芳久

被告 埼玉県

右代表者知事 畑和

右被告埼玉県訴訟代理人弁護士 鍛治勉

右訴訟復代理人弁護士 梅園秀之

主文

一  被告入間市及び同埼玉県は、原告甲野一郎に対し、各自金三〇万円及びこれに対する昭和五七年一二月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告甲野一郎の被告入間市及び同埼玉県に対するその余の請求並びに同乙山春夫に対する請求をいずれも棄却する。

三  原告甲野太郎及び同丙川花子の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告甲野一郎と被告入間市、同埼玉県及び同乙山春夫との間においては、原告甲野一郎に生じた費用の一〇分の一を被告入間市及び同埼玉県の負担とし、その余は原告甲野一郎の負担とし、原告甲野太郎及び同丙川花子と被告入間市、同埼玉県及び同乙山春夫との間においては、全部原告甲野太郎及び同丙川花子の負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告甲野一郎に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一二月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、各自、原告甲野太郎及び同丙川花子に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一二月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)は、昭和五五年四月から同五八年三月まで、埼玉県入間市立豊岡中学校(以下「豊岡中」という。)に生徒として在籍していた者であり、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)は同一郎の父、同丙川花子(以下「原告花子」という。)は同一郎の母である。

(二) 被告乙山春夫(以下「被告乙山」という。)は、昭和五八年三月まで豊岡中の体育教諭として勤務し、同五七年四月から同五八年三月までは原告一郎の属した三年一組のクラス担任をしていた者である。

(三) 被告入間市(以下「被告市」という。)は、豊岡中を設置管理し、同校に関する教育事務を行う地方公共団体である。

(四) 被告埼玉県(以下「被告県」という。)は、市町村立学校職員給与負担法一条に基づき、被告乙山の給料その他の費用を負担している地方公共団体である。

2  被告乙山の加害行為

(一) 傷害行為

(1) 被告乙山は、昭和五六年九月二六日午後五時ころ、豊岡中二階の職員室に通じる階段を上っていた際、同階段を下りてきた原告一郎及び同校二年の男子生徒三名があいさつをしなかったことをとがめ、右階段の踊り場にいた原告一郎に対し、階段上段から飛び蹴りをし、その顔面・頭部等を三、四回殴打し、腹部を膝で蹴る等の暴行を加え、その結果、同人に対し全治一〇日間を要する眉毛部打撲傷、左耳後部打撲擦過傷、右肩部皮下出血及び腹部打撲傷の傷害を与えた。

(2) 昭和五七年一〇月二九日午後三時五〇分ころ、豊岡中三階にある三年三組の教室前の廊下で、同校生徒戊田秋夫が後頭部を壁に打ちつけられ夕方一時記憶が乱れるという事件が起きたことから、豊岡中ではその犯人捜しを始めた。被告乙山は、原告一郎にも事情を聞き、原告一郎は「知らない」と答えていたが、同年一一月四日、原告一郎を呼び出し、同校二階の社会科資料室において、「お前、俺に嘘ついているな」、「殺してやる」と言うや、いきなり原告一郎の足・膝・腹を蹴り、その顔面・頭部を拳骨で殴打する等の執拗な暴行を加え、これにより、原告一郎に対し、全治一五日間を要する顔面挫傷、頭部打撲、頭痛、鼻出血及び口内切傷の各傷害を与えた。

(二) 登校禁止措置

被告乙山は、昭和五七年一二月一五日朝の学級活動時間中、原告一郎に対し「てめえ、もう二度と学校に来るな。教室から出て行け」、「もし学校に来るんだったら、父親と母親を連れて俺のところに一緒に来て、土下座して謝れ」等と大声で執拗に繰り返し、同人を教室から追い出した後、原告ら宅に電話をかけ、原告花子に対し「お母さん、子供を帰したからな。もう二度と面倒はみられない」と一方的に告げて登校を禁止した。このため、原告一郎は、その後同五八年三月一五日の卒業式まで豊岡中に登校せず、その間同校における教育を受ける機会を奪われた。

3  損害

(一) 原告一郎の損害

原告一郎は、被告乙山の暴行により前記のような傷害を受けたほか、これにより持病の腎炎が一時悪化する等の影響を受け、また、被告乙山によって、教育を受ける機会を奪われ、計ることのできない精神的な衝撃を受けた。

したがって、原告一郎が被った精神的損害を慰謝するためには、全体として金三〇〇万円が相当である。

(二) 原告太郎及び同花子の損害

原告太郎及び同花子は、同一郎が受けた肉体的・精神的苦痛を親として座視しえず、同人と共に苦しみを味わった。これにより、原告太郎及び同花子が被った精神的損害を慰謝するためには、全体として各金一〇〇万円が相当である。

4  被告らの責任

被告乙山は、原告らに対し、民法七〇九条により前記損害を賠償すべき義務を負い、被告乙山の前記各行為はいずれも豊岡中教諭としての職務を行うについてなされたものであるから、被告市は、国家賠償法一条一項に基づき、原告らに対し、被告乙山の右行為によって生じた前記損害を賠償すべき義務がある。

また、被告県は、市町村立学校職員給与負担法一条により被告乙山の俸給等の費用を負担するものであるから、国家賠償法三条一項に基づき、原告らに対し、前記損害を賠償すべき義務がある。

よって、原告らは、被告乙山に対し不法行為による損害賠償請求権に基づき、また被告市及び同県に対し国家賠償法一条一項及び同法三条一項に基づく損害賠償請求権に基づいて、原告一郎に対し金三〇〇万円及びこれに対する最終の不法行為の行われた日の翌日である昭和五七年一二月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、また、原告太郎及び同花子に対し各金一〇〇万円及びこれらに対する右同様の遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の各事実は認める。

2(一)  請求原因2(一)(1)のうち、昭和五六年九月二六日午後五時ころ、豊岡中二階の職員室に通じる階段において、被告乙山が原告一郎の顔面を殴打した(ただし、平手で一、二回)ことは認めるが、その余は否認する。

(二) 同(2)のうち、同五七年一一月四日、社会科資料室において、被告乙山が原告一郎の顔面を殴打し(ただし、平手で一回)、その結果同原告が鼻血を出したことは認めるが、その余は否認する。

(三) 同2(二)のうち、被告乙山が同五七年一二月一五日朝の学級活動時間中に原告一郎に対し「お前帰れ」と言って叱責し、同原告が早退したこと、その直後、原告花子に対し電話をしたこと、原告一郎が同月一六日以降同五八年三月一五日の卒業式まで登校しなかったことは認めるが、その余は否認する。被告乙山は、原告一郎の登校を禁止したものではないし、同被告が原告花子に電話した内容は、原告一郎が自分の手に余る旨を伝えたものであるにすぎない。また、同五七年一二月一七日、入間市教育委員会学校教育課長今泉久夫及び豊岡中校長岡村政一が原告ら方を訪れ、原告一郎の登校を促す等学校関係者らの懸命な説得及び努力にもかかわらず、被告乙山の前記言辞に乗じて自ら登校を拒否し続けた原告一郎の態度等を考えれば、同原告が登校しなかったことと被告乙山の右行為との間には、相当因果関係がないというべきである。

3  請求原因3(損害)の主張は争う。

4  (被告乙山)

請求原因4の主張中、被告乙山に関する部分は争う。

(被告市)

請求原因4の主張中、被告乙山が行った各行為が豊岡中教諭としてのものであったことは認めるが、被告市に関する部分は争う。

(被告県)

請求原因4の主張中、被告県に関する部分は争う。

市町村立学校職員給与負担法により都道府県が教職員の給与を負担しているのは、都道府県が市町村に対する事務委任費用を負担するのとは異なり、本来小・中学校の設置管理者である市町村の財政上の負担を考慮した結果であるから、被告県は、国家賠償法三条一項の責任を負うものではない。

三  被告らの抗弁

1  懲戒権行使による違法性阻却(請求原因2に対し)(被告ら)

(一) 本件の背景

昭和五五年ないし同五八年当時は少年非行が全国的に増加し、その中心が中学生に移行していたときであるが、この情勢は豊岡中にも波及しており、特に原告一郎の属していた学年には問題のある生徒が多く、授業中の態度が極めて悪い上に、女生徒への陰湿ないたずらや穏健な生徒に対する威迫強要等が頻発し、女子教諭が身の危険を感じ、畏怖のあまり退職するという事態も生じていた。また、その言動・服装等から一見していわゆる「つっぱりグループ」と認められる集団が結成され、横行するに至った。そこで豊岡中においては、全教職員の総力を結集してこれらの生徒及び集団に対応し、当該生徒の補導、非行防止及び当該集団による被害発生の抑止に万全を期することとした。

原告一郎は、「つっぱりグループ」に所属しており、異様な服装・言動を誇示し、多衆の威力を借りてときに暴力を振るい、同五六年九月当時には入間市内外所在の各中学校における同種集団を配下に収めつつあり、同五七年一〇月当時には副番長格になっていた。

(二) 懲戒権行使の状況及びその正当性(請求原因2(一)(1)の行為について)

(1) 原告一郎は、豊岡中二学年に在学中の昭和五六年九月二六日午後三時ころ、同中の二年生の生徒八名及び入間市立黒須中学校の生徒三名位と、アロハシャツを着用する等派手な服装で自転車に相乗りして同市立武蔵中学校に赴き、同校校庭の一隅に集まり、喫煙等をしながら威勢を示していた。同校生徒指導主任から、直ちに原告一郎らを迎えにきてほしいとの要請を受けた豊岡中では、職員室に居合わせた教員全員がその指導に当たることになり、同校教諭吉田誠(原告一郎の一学年当時の担任。当時二学年の担任)、同吉田正幸(当時の原告一郎の担任)、同伊藤助衛・同佐藤裕一(いずれも二学年の担任)及び被告乙山が武蔵中に向った。途中、原告一郎ら八名を発見した被告乙山らは、豊岡中へ行くよう指示し、右二学年担任四名は、同校二階第二理科室において、原告一郎らに、今後右のような行動を慎み、中学生にふさわしい服装をするよう説諭・指導してその厳守を約束させ、派手な上衣を脱がせて帰宅させることとした。

(2) 被告乙山は、同日午後五時ころ、同校二階の職員室へ通ずる階段の途中の踊り場において、右説諭を受けて階段を下りてきた原告一郎ほか二名の生徒に出会ったが、原告一郎らは被告乙山を無視してあいさつをせず、反抗的・自棄的な態度を露骨に示し、前記所為をまったく反省していない様子だった。そこで、被告乙山は、指導が徹底していないことを直感し、原告一郎らを呼び止めてあいさつをするように注意したにもかかわらず、同人らは依然としてその態度を改めなかったので、その自覚を喚起すべく、懲戒権の行使として同人らの顔面を平手で一、二回殴打した。

(3) 一般に、教員は、「教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる」(学校教育法一一条)。ここにいう懲戒には、法律上の懲戒のほか、事実行為としての懲戒も包含されていると解されるところ、その法的性質は、生徒の人間的成長を助けるために教育上の必要からなされる教育的処分と目すべきものであって、教員の生徒に対する生活指導手段の一つとして認められた教育的権能と解すべきである。

事実行為としての懲戒には、口頭によるものと有形力の行使によるものとがあり、後者は必要最小限度にとどめることが望ましいが、口頭の懲戒のみでは生徒に対し感銘力と説得力に欠け、教育上必要な注意喚起ないし覚醒行為としての機能・効果を期待しがたいと認められるときには、教員は、必要に応じかつ状況に即して、生徒に対し一定の限度内で有形力を行使することも許されてよいと考えられる。

この許容限度は、生徒の年齢・性別・成育過程・身体的状況・非行等の内容、懲戒の趣旨、有形力行使の態様及び程度、教育的効果並びに身体的侵害の大小及び結果等を総合し、社会通念に則って各事例毎に具体的個別的に判定するほかはなく、また、懲戒の方法ないし形態の選択が生徒の当該行為に対する処置として適切かどうかは、平素から生徒に接して、その性格・行状・長所短所・家庭状況等を知悉し、生徒の成長過程を常時観察している教員の判断に任せるのが相当である。

(4) 原告一郎の当時の年齢、その非行内容、二学年担当の教諭らが先行して行った口頭による懲戒の教育的効果が生じていなかったこと、被告乙山の懲戒行為の目的、その実態及び原告一郎に対する身体的侵害の程度等を総合すれば、右のように有形力の行使による懲戒方法を選択し、機を失することなくこれを実行した被告乙山の措置は、社会通念上許容される範囲内のものであり、正当な懲戒権の行使として違法性が阻却されるというべきである。

(三) 懲戒権行使の状況及びその正当性(請求原因2(一)(2)の行為について)

(1) 原告一郎は、豊岡中三学年に在学中の昭和五七年一〇月二九日午後三時五〇分ころ、同中三年三組の丁原夏夫に命じて同組の戊田秋夫を同組廊下前に連行させた上、突然戊田の顎を蹴り上げた。そのため戊田は、廊下の壁面に後頭部を打ちつけ、意識を失いかけて倒れたが、原告一郎は、さらに同人を三階西男子便所に連れ込み、顔面を両手でかばいながら立ちすくむ戊田の顔面を両手越しに数回足蹴りした。そのため、戊田は、全治二週間を要する外傷性逆行性健忘症の傷害を受けた。

(2) 原告一郎の配下である丁原及び右暴行の目撃者である甲田五郎は、当初、原告一郎を恐れて真実を述べず、原告一郎も、両親及び被告乙山に対し一貫してこれを否認し続けていた。しかし、同年一一月ころになって丁原らが真相を述べ始め、また、戊田秋夫の父一夫は、豊岡中に対し、学校の責任において加害者を発見できないのであれば告訴して加害者を明らかにし、その責任を追求する旨通告してきた。

被告乙山は、前記三1(一)(2)の事件以降、特に原告一郎の矯正に意を用いて熱心に指導を続け、その結果生活態度を改めると約束するようになった原告一郎との間に強固な信頼関係が確立されたものと信じるに至っており、戊田に対する暴行の加害者が原告一郎であるということについてはなお半信半疑でいた。しかし、戊田一夫の通告により事態が急迫してきたため、被告乙山は、同年一一月四日の短時間学級会活動終了後、原告一郎に対し、丁原らの供述及び戊田一夫の決意等を明らかにして質したところ、原告一郎は、ようやく「むしゃくしゃするからやった」と自認するに至った。

そこで、被告乙山は、原告一郎が信頼を裏切り、約束に反して暴行を行った上これを隠してきた点を責め、同人の悔悟・反省を促すべく、懲戒権の行使として同人の顔面を平手で一回殴打した。その後、被告乙山は、右殴打により鼻血を出した同人を直ちに保健室へ連れていき、自ら手当をした後、教室へ戻して社会科の中間試験を受けさせた。

(3) 教員は、学校における教育活動及びこれと密接不可分の関係にある生活関係において、親権者に代わり生徒の生命・身体の安全を保護し、監督すべき義務がある。したがって、生徒間にいわゆる「いじめ暴力」等による暴行が発生した場合は、教員が加害生徒の発見に努めた上、当該行為の動機・実態を究明し、加害生徒に対し当該行為の再発防止を主眼とする懲戒を行うことは、生徒保護監督義務の一環として正当であり、必要不可欠の処置というべきである。

原告一郎の当時の年齢、戊田に対する前記暴行の動機・態様及び同原告がこれを隠していた経緯からすれば、原告一郎の反社会性は極めて顕著かつ強度であり、また、その行為は被害生徒の生命・身体に対し重大な結果を与えかねない危険性の高いものであったことを容易に窺い知ることができるところ、被告乙山としては、微温的な口頭による懲戒では到底本件のような「いじめ暴力」の根絶を期しがたいと判断し、原告一郎が被告乙山との信頼と約束に背いたことに対し反省・悔悟を促すことを主眼として、右のような懲戒の方法及び態様を選択し、時を移さずこれを実行したのであり、その有形力行使による身体的傷害の結果が一過的な鼻出血の程度に止まっていることも併せ考えると、右有形力の行使は、社会通念上許容限度内のものと認められる。

よって、被告乙山の右行為も、正当な懲戒権の行使として違法性が阻却されるというべきである。

(四) 懲戒権行使の状況及びその正当性(請求原因2(二)の行為について)

(1) 原告一郎は、昭和五七年一二月一三日に学校を欠席し、同月一四日は遅刻して午前九時ころ登校し、昼すぎには何の届けもせず無断で早退しながら、翌一五日には平然と登校してきた。

そこで、被告乙山は、校内規則に違反し、秩序を乱しながら恥じるところのない原告一郎の放恣な生活態度を叱責し、就学意欲の欠如した同人に反省の機会を与えるため、同日朝の学級時間において、懲戒権の行使として「お前帰れ」と言ったところ、原告一郎は、被告乙山の言辞を奇貨として、そのまま教室から出て行き早退した。

被告乙山は、直ちに原告花子に対し、右の経緯及び原告一郎の言動が同被告の手に余る旨を電話連絡し、合わせて家庭生活が生徒に甚大な影響を及ぼすことにつき注意して、原告花子らの善処と協力を依頼した。

(2) 教員は、口頭による懲戒を行うに当たり、単純な表現による訓戒・叱責をするにとどまらず、ときには逆説的表現を用いて生徒の生活態度上の非違を強く認識させ、注意を喚起して主体的な反省を促すことがある。被告乙山の右懲戒は、逆説的な表現ではあるが、その真意は直後に原告花子にした連絡からも容易に理解し得たはずである。これに、原告一郎の放縦に流れた生活態度は学校のみならず家庭においても顕著であること、その後の学校関係者らの熱心かつ頻繁な説得、登校勧奨の努力にもかかわらず、原告一郎は遂に登校するに至らなかったこと等を考えれば、被告乙山の右行為は、正当な懲戒権の行使として違法性が阻却される。

2  和解(請求原因2(一)(1)に対し)(被告ら)

(一) 被告乙山は、昭和五六年一〇月一日ころ、岡村校長ほか四名の教諭と共に乙田松夫(乙田竹夫の父親)方に赴き、原告一郎及び竹夫ほか一名の各親権者との間で、今後学校側と親権者とが互いに緊密な連携を取り合って生徒指導を行うことに努める旨確約し、原告らは同年九月二六日の被告乙山の行為による一切の責任を免除する旨の和解をした。

(二) 仮に、原告太郎及び同花子がその場に居合わせなかったとしても、同原告らは、事前の折衝に関与して経過を熟知していた上、和解に立ち会っていたPTA会長水村彰から和解の当夜にその結果を聞き、これを了承した。

3  消滅時効(請求原因2(一)(1)に対し)(被告ら)

(一) 原告らにおいて被告乙山の行為(請求原因2(一)(1))及び損害を知ったのは昭和五六年九月二六日であり、この日からすでに三年を経過した。

(二) 被告らは、右時効を援用する。

4  国家賠償法適用による免責(被告乙山)

仮に、被告乙山の本件各行為が違法であり、故意又は過失により原告らに損害を与えたとしても、右各行為は、同被告が豊岡中教諭としてその職務を行うにつきなされたものであるから、この場合は国家賠償法一条一項により、被告市がその賠償責任を負い、行為者たる被告乙山はその責めを免れるものと解するのが相当である。したがって、原告らの被告乙山に対する本件請求は失当である。

5  過失相殺(被告ら)

原告太郎及び同花子は、原告一郎の親権者として、家庭内における保護環境の整備充実を心がけ、原告一郎の言動・交友関係等に気を配り、その非行化を未然に防止すべき注意義務を負っており、同原告の服装・行状等からその非行化傾向を容易に看取しえたにもかかわらずこれを看過放任し、同原告の戊田に対する暴行についてもその弁明を盲信して責任転嫁を試み、さらに同人の登校拒否及びこれに派生する一連の行状に対しほとんど無策のまま推移した。

したがって、原告太郎及び同花子は、親権者としての責務を果していたものとはいえないから、仮に、被告らが本件につき損害賠償義務を負う場合には、その額を定めるにつき同原告らの過失を斟酌すべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1について

(一) 抗弁1(一)のうち、豊岡中の女子教諭が同校を退職したこと、原告一郎がいわゆる「つっぱりグループ」に所属しており、昭和五七年一〇月当時には副番長格になっていたことは認める。右女子教諭の退職理由は不知。その余の事実は否認する。

(二)(1) 抗弁1(二)(1)のうち、同五六年九月二六日午後三時ころ、原告一郎が豊岡中の二年生の生徒八名及び入間市立黒須中学校の生徒三名位と共に自転車で同市立武蔵中学校に赴いたこと、原告一郎らが、途中被告ら主張の豊岡中の教諭らから同校に行くよう指示されたこと、及び右二学年担任四名が同校二階第二理科室で原告一郎らを説諭・指導したことは認める。右説諭・指導の内容は争う。原告一郎らが派手な服装をしていたこと、同原告らが自転車に相乗りをしたこと、及び武蔵中学校の校庭において喫煙等をしながら威勢を示していたことは否認する。その余の事実は不知。

(2) 同(2)のうち、同日午後五時ころ、同校二階の職員室へ通ずる階段の途中の踊り場において、二階から下りてきた原告一郎ほか二名の生徒と被告乙山が出会ったこと、同被告が原告一郎らの眼面を平手で殴打したことは認め、その余の事実は否認する。

(3) 同(3)及び(4)の主張は争う。

教員は、生徒を教育目的をもって懲戒することができるが、その場合でも体罰を加えることは絶対的に禁止されている(学校教育法一一条但書)。被告乙山が原告一郎に加えた暴行は、同法が厳禁する「体罰」そのものであって違法であり、懲戒権の行使としても違法性を阻却されない。

(三)(1) 抗弁1(三)(1)のうち、豊岡中学在学中の昭和五七年一〇月二九日午後三時五〇分ころ、同中三年三組教室前廊下において、原告一郎が同組の戊田秋夫を蹴り上げたこと、これにより戊田が廊下の壁面に後頭部を打ちつけ、意識を失いかけたこと、戊田が外傷性逆行性健忘症の傷害を負ったことは認め、その余の事実は否認する。

(2) 同(2)のうち、原告一郎が、当初両親及び被告乙山に対し、戊田に対し暴行を加えたことを否認していたこと、同年一一月四日の短時間学級会活動終了後、被告乙山が原告一郎の顔面を平手で殴打したこと、原告一郎はこれにより鼻血を出し、保健室に行ったこと、教室に戻って試験(北辰テスト)を受けたことは認める。戊田の父一夫が、豊岡中に対し、被告ら主張のような内容の通告をしたことは不知。その余の事実は否認する。

(3) 同(3)の主張は争う。

(四)(1) 抗弁1(四)(1)のうち、原告一郎が昭和五七年一二月一三日に学校を欠席し、同月一四日は早退したこと、翌一五日は登校したこと、被告乙山が原告一郎に対し「お前帰れ」と言ったこと、原告一郎が教室から去ったこと、被告乙山が原告花子に連絡したことは認める。その余の事実は否認する。

(2) 同(2)の主張は争う。

被告乙山の原告一郎に対する下校の強制と登校禁止を含む威迫的・侮辱的な言動は、教員に認められた口頭による懲戒の範囲を逸脱した違法なものであって、懲戒権の行使とは到底認められない。

2  抗弁2(和解)の各事実は否認する。

3  抗弁4及び同5の主張は争う。

五  再抗弁(時効中断・抗弁3に対し)

1  原告らは、被告市及び同県に対し、昭和五九年九月二二日、被告乙山の前記行為(請求原因2(一)(1))による損害賠償債務の履行を催告する書面を発し、同書面は同月二四日被告県に、同月二五日被告市にそれぞれ到達した。

2  原告らは、被告乙山に対し、同月二二日、同被告の右行為による損害賠償債務の履行を催告する書面を発し、同書面は同月二八日同被告に到達した。

なお、被告市に対する同書面は同月二五日に到達していることから、同市内に居住していた被告乙山に対しても同日には到達していたはずであり、これが三日間遅れたのは被告乙山の不在により右書面が郵便局に保管されていたことによるのであるから、同被告に対しても同月二五日に右催告が到達したものと扱われるべきで、この点につき原告らの責めに帰すべき事由がない。

3  原告らは、同六〇年三月二三日、浦和地方裁判所に対し右債務の履行を求める訴えを提起した。

六  再抗弁に対する被告らの認否

再抗弁事実はすべて否認する。

国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任は一種の代位責任と解すべきであるから、被告市及び同乙山の各債務は連帯債務ではなく、その消滅時効も各別に完成すると考えるべきである。したがって、被告市について時効中断が認められるとしても、その効果は当然には同乙山には及ばないというべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1について

請求原因1(当事者)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  請求原因2について

1  請求原因2(一)(1)のうち、昭和五六年九月二六日午後五時ころ、豊岡中の職員室に通じる階段において被告乙山が原告一郎らの顔面を平手で一、二回殴打したことは、当事者間に争いがない。右争いのない事実と、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

原告一郎、乙田竹夫及び丙田梅夫は、豊岡中二階第二理科室において原告一郎ら二学生の担任教諭数名から、原告一郎ら十数名の生徒が集団で入間市立武蔵中学校に押しかけたことについて説諭・指導を受けた後、右二階の階段を降りる途中で、被告乙山とすれ違った。その際、同原告らはふてくされたような態度を示し、被告乙山にあいさつをしなかったことから、同被告は、説諭・指導を受けたばかりであるにもかかわらず、このような態度を取る生徒らに対しては叩く以外に懲戒の方法はないと考え、右階段の踊り場において、まず、乙田に対し、その顔面を殴打したり、首を押えて壁に押し付ける等し、次いで、右階段を数段飛び降りて、下の踊り場にいた原告一郎の顔面を平手で数回殴打し、腹を膝で蹴り、その結果、原告一郎は全治数日間を要する右眉毛部打撲、左耳後部擦過傷、右肩甲骨皮下出血及び腹部打撲の各傷害を負った。

2  請求原因2(一)(2)のうち、昭和五七年一一月四日社会科資料室において、被告乙山が原告一郎の顔面を殴打し、その結果同原告が鼻血を出したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と《証拠省略》によれば、被告乙山は、同日、同校二階の社会科資料室において、原告一郎の顔面を平手で殴打し、その結果同原告は鼻血を出したほか、顔面打撲及び口内切傷の各傷害を負ったことを認めることができ(る。)《証拠判断省略》

3  請求原因2(二)について

(1)  《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

原告一郎は、昭和五七年一二月一三日には法事があったのにこれを届け出ずに欠席し、翌一四日は遅刻及び早退したが、いずれも被告乙山に届け出なかった。

被告乙山は、同月一五日朝、教室において、原告一郎が前日遅刻・早退した旨の日誌の記載を見て、原告一郎に対し「お前は昨日学校に来たのか」と聞き、原告一郎が「はい」と答えたのに対し、「学校に来たのに何で俺のところにあいさつしないのか」と言った後、「もういいから帰れ。二度と来るな」、「もし学校に来たいんなら、親と一緒に来て俺の前で土下座して謝れ」等と教卓を押しながら大声で激しく威嚇するように怒鳴りつけた。そのため、原告一郎は何も持たずに教室を退出し、そのまま豊岡中の卒業生の家へ行き、三日位自宅にも帰らず、その後も同月一六日から同五八年三月一五日の卒業式の間登校しなかった(被告乙山が、同年一二月一五日朝の学級時間に、原告一郎に対し「お前帰れ」と言って叱責したこと、原告一郎が、同五七年一二月一六日以降同五八年三月一五日の卒業式当日まで登校しなかったことは、当事者間に争いがない。)。

(二)(1) 被告らは、被告乙山の右言動と原告一郎が昭和五七年一二月一五日に早退したこと及び翌日以降登校しなかったことの間の因果関係を争うので、この点について検討するに、《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。

入間市教育委員会学校教育課長今泉久夫及び岡村校長らは、昭和五七年一二月一七日、原告ら方を訪れ、原告一郎には不在のため会えなかったものの、同花子に「学校では暖かく迎え入れる態勢を取ってある。濱島教頭を窓口にするので、何でも言ってほしい」と告げ、原告一郎を登校させるように促した。また、翌一八日、原告一郎に関する専従者の指定を受けた同校教頭濱島広光は、原告花子に連絡を取り、同月二〇日から登校させるように言ったが、原告一郎は登校せず、同月二二日には、原告花子が豊岡中を来校し、「家庭教師が面倒をみるので教科書を出してほしい」と言って、原告一郎の荷物を持って帰った。被告乙山は、原告花子から「一郎が学校に行かなくて困っている。先生の責任だからどうにかしてくれ。先生が謝れば行くと思う」との電話を受けたことから、数回電話で原告一郎と話をし、「きつく言ったことは悪かった」と謝ったが、原告一郎は「行きたくないから行かない」と返事をするのみであった。

原告一郎は同月二四日の第二学期終業式にも欠席したため、濱島は、同日夕方、原告一郎の通知票と入間向陽高校の願書を持参して原告らの自宅を訪問し、一月八日の始業式には登校させるよう原告花子に言った。そのとき、原告一郎は自宅二階にいたが、濱島には会おうとしなかった。

原告一郎は、同五七年一二月二五日から同五八年一月初旬まで、民生委員である原桂子の娘に勉強をみてもらっており、同女と新学期から登校すると約束したにもかかわらず登校することはなく、同月一二日に乙田竹夫が被告乙山から指示されて原告一郎を迎えに行った際にも、原告花子は「一郎は行かないから、もう迎えに来なくていい。一郎が悪くなったのは乙山先生や友達が悪いからだ」と言い、原告一郎も登校しようとしなかった。同月下旬ころ、原告一郎は高橋市会議員に連れられて豊岡中へ行き、校長室で被告乙山と会ったが、同原告は、髪を染めパーマをかけて、眉を剃っており「学校はおもしろくない。遊んでいた方がおもしろい」と言い、その場では登校することを約束したが、その後も登校することはなかった。

同月一九日、濱島は、新設の県立西武台高校の願書を持参して原告花子に渡し、また、同年二月四日には、原告花子から入間向陽高校を受験させたい旨の電話を受け、同原告に手続を教えたほか、調査票の作成・提出等の手続を行った。原告一郎は同校を受験したものの、不合格となった。その後も、濱島は、原告花子から県立越生高校の第二次募集に応募したいとの連絡を受けてその手続を教え、原告一郎は同校の第二次募集に合格したが、同校入学後一ケ月位で登校しなくなり結局同校を中退するに至った。

(2) 右事実及び前示3(一)の事実によれば、被告乙山の前記言動と原告一郎が昭和五七年一二月一五日に早退し、翌日以降同月一八日(なお、同月一九日は日曜日に当たる。)まで登校しなかったこととの間には相当因果関係があると認めるのが相当である。

しかし、原告一郎が同月二〇日以降登校しなかったことについては、前述のように、同月一七日今泉課長及び岡村校長が原告ら方を訪問し、原告花子に対して「学校では暖かく迎え入れる態勢を取っている」旨告げ、原告一郎の登校を促し、また、翌一八日には濱島教頭が原告花子に対し同月二〇日から登校させるよう連絡していることからすれば、豊岡中では、校長を始めとして学校をあげて原告一郎を受け入れる態勢にあることを原告らに明示していると認められ、これに、原告一郎がその本人尋問において、登校しなくなった理由につき「(被告乙山の行為については)ショックは別にありませんでしたけど、もう二度と来るなと言われたから、行かないや、って、そのとき思いました」と供述し、さらに三学期も登校しなかった理由として「やはり二度と来るなと言われたのが、原因でありますけど、それと、一回も、ずうっと行かないと、次からもう行くのはなんか行きづらいような、感じもありましたし、それにあとは、自分として遊んでいたほうが楽しいんで、学校なんかいいやと思っちゃった面もありました」と供述していること等を合わせ考えると、被告乙山の前示言動との間に相当因果関係があるとは認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(三) 右のほか、《証拠省略》によれば、昭和五七年一二月一五日前記のとおり原告一郎が豊岡中を退出後、被告乙山は、原告花子に電話をかけて、「彼帰したからな。もう二度と面倒見られない。学校によこしてもらっては困る。もしよこしたいのなら、お父さんとお母さんで俺の所へ来て土下座して謝れ」などと言ったことを認めることができる(被告乙山が、原告一郎退出後、原告花子に電話したことは当事者間に争いがない。)。

しかし、原告一郎が昭和五七年一二月一五日豊岡中を退出した後同月一八日まで自宅にも帰らなかったことは前記のとおりであることに照らして、被告乙山が原告花子に右電話をしたことと右の期間原告一郎が登校しなかったこととの間に因果関係があると認めることはできないし、その後登校しなかったことについても、前示(二)の事情に照らせば、被告乙山の原告花子に対する右電話との間に相当因果関係があると認めることはできない。

三  抗弁1(懲戒権行使による違法性阻却)について

1  被告らは、被告乙山の本件各行為は、原告一郎の非行に対する正当な懲戒権の行使であって、その違法性は阻却されるべきであると主張するので、以下この点について検討する。

2  抗弁1(一)(本件各懲戒権行使の背景)について

《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

原告一郎の属していた学年には問題のある生徒が多く、原告一郎もその中の一人で、一年生のときから乙田竹夫を番長とするいわゆる番長グループに属し、二年生になってからはその首班格に、また三年生のときには副番長格になっていた。また、乙田らのグループは、豊岡中だけでなく、入間市内の向原中学校、藤沢中学校、金子中学校等の不良グループを配下に治めていた(原告一郎がグループの一員であったこと及び昭和五七年一〇月当時、原告一郎はその副番長格であったことは、当事者間に争いがない。)。

これに対して、豊岡中では、各学年担当の教諭の中から生徒指導の担当者を一名ずつ出すと共に、問題があったときはその学年が中心となって何でも教員全体で取り組むこととする旨話し合われていた。

3  抗弁1(二)(請求原因2(一)(1)の行為に関する懲戒権行使の状況及びその正当性)について

(一)  《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告一郎は、昭和五六年九月二六日午後三時ころ、紫色のカーディガンとアロハシャツを着て、同様の格好をした豊岡中の二年生の生徒八名及び入間市立黒須中学校の生徒三名位と共に、同市立武蔵中学校の不良グループを自分らのグループの配下に収めるため、自転車に相乗りして同校に赴き、校庭のフェンスに集まった(このころ原告一郎ら豊岡中の二年生の生徒八名及び黒須中の生徒三名位が自転車で武蔵中に赴いたことは、当事者間に争いがない。)。

そのため、武蔵中生徒指導主任の金井教諭は、当時豊岡中二学年の生活指導担当であった吉田誠教諭に電話して、原告一郎らを連れに来るよう求め、これを受けて被告乙山は、右吉田誠及び吉田正幸、伊藤助衛、佐藤裕一の各二学年担当の教諭と共に武蔵中に向かう途中、原告一郎ら数名の生徒を発見し、直ちに豊岡中へ行くよう指示した(原告一郎らが、被告乙山ら豊岡中の教諭と会い、同校に行くよう指示されたことは、当事者間に争いがない。)。

(2) しばらくして、原告一郎ら七、八名の生徒が豊岡中二階の第二理科室に入ったので、被告乙山は、学年担当の教諭が説諭する前に「これから学年の先生方の指導があるから、よく話を聞いて、嘘をつかないように本当のことを言いなさい」と言った後、吉田教諭らと交替して担当していたサッカー部の指導に戻った。

吉田らは、それから四、五〇分程度原告一郎らを説諭し、着ていた派手なカーディガン等を脱がせて帰宅させようとした(吉田ら二学年担当の教諭四名が第二理科室において原告一郎らを指導・説諭したことは、当事者間に争いがない。)。

この後、被告乙山が、原告一郎ら三名の生徒を右二階の階段において殴打したことは、前記二1において判示したとおりである。

(二)  ところで、学校教育法一一条は、学生・生徒等に対する懲戒について「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」と規定し、教員の懲戒権を規定すると共に、体罰を禁止している。教員の生徒に対する懲戒行為としての有形力の行使が、当然に同法の禁止する体罰に該当し、民法上の不法行為にも該当するかどうかはともかく、当該有形力の行使が殴打・足蹴り等生徒の身体に傷害の結果を生じさせるようなものである場合には、それ自体同法一一条但書が禁止する違法な体罰であり、民法上の不法行為として評価すべきものと解するのが相当である。

本件についてみると、原告一郎は、被告乙山の殴打・足蹴りにより右眉毛部打撲等の傷害を負ったことは前記認定のとおりであるから、同被告の行為が違法な体罰であることは明らかというべきである。前記三2のとおり、本件に至るまでの背景事情があり、原告一郎において懲戒の対象となるべき行状があったとしても、これをもって被告乙山の右加害行為の違法性が阻却されるものと解することはできない。この点に関する被告らの主張は採用することができない。

4  抗弁1(3)(請求原因2(一)(2)の行為に関する懲戒権行使の状況及びその正当性)について

(一)  《証拠省略》によれば、被告池田の前示二2の行為に至る経緯として、以下の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

(1) 昭和五七年一〇月二九日午後三時五〇分ころの清掃時間中、原告一郎は、豊岡中三階の三年三組数室前の廊下において、遊び仲間の丁原夏夫が連れてきた三年三組の生徒・戊田秋夫に対し、回し蹴りのまねをして同人をいじめていたが、後ろ回し蹴りをした際右足が戊田の下顎に当たり、そのはずみで戊田は後頭部を壁に強打した。原告一郎は、その場にしゃがみこんだ戊田を同じ階にある男子トイレに連れて行き、顔面を両腕でかばいながら立ちすくむ同人の顔面を両腕越しに数回足蹴りした。

被告乙山は、保健担当の教諭から戊田の様子がおかしい旨を聞かされ、保健室に赴いたところ、戊田は、目の焦点が合わず、真っ青な顔をして「いま何時、きょう何日」等とうわ言を繰り返しているような状態であった。戊田は病院に運ばれて応争手当を受けたが、後頭部の強打により、外傷性逆行性健忘症の傷害を負った。

(2) 翌三〇日朝、三年担当の教諭らが話し合った結果、戊田がけがをした状況を調査することとなり、そのため生徒に何か見たことがあるかどうかを書かせることにした。結局、この調査では新たな事実は判明しなかったが、戊田が蹴られた現場に丁原夏夫及び甲田五郎がいたとの情報が他の生徒からもたらされたことから、三年の学年主任である工藤義隆、吉田誠、被告乙山等の教諭らが丁原及び甲田から事情を聞くことになった。

丁原及び甲田は、当初何も言わず、あるいはかかわりを否定していたが、同月三一日、両名とも、原告一郎が丁原に命じて戊田を連れてこさせた上、いきなりその顎を蹴り上げたと言うに至った。他方、原告一郎に対しては、被告乙山が毎日数分程度聞いていたが、原告一郎は一貫して戊田に対する暴行を否定していた(原告一郎が否認していたことは、当事者間に争いがない。)。

(3) その後、戊田の父一夫から豊岡中に対し、学校ではっきりさせることができないのであれば警察に届け出る旨の強い申し入れがあったことから、同年一一月四日朝の学年担当教諭の打ち合わせにおいて、丁原及び甲田の名前を出してもかまわないとして、直接原告一郎本人から聞くことが決められた。

そこで、被告乙山は、同日朝の短学活終了後原告一郎を同校二階にある社会科資料室に呼び、友達も原告一郎がやったと言っているので正直に言うように等と言い、さらに「お前やったんだろう」と聞いたところ、最初は黙っていた同原告は、ようやくうなずくに至った。かくして被告乙山は、「何でお前は今まで嘘をついていたんだ」と大声で言い、前示二2のとおり原告一郎の顔面を平手で殴打した。

(二)  懲戒としてなされたものであっても、それが生徒の身体に傷害の結果を生じさせるような有形力の行使である場合には、それ自体違法な体罰であると解すべきことは前述したとおりである。そして、被告乙山が原告一郎を殴打したことにより、同原告が鼻血を出したほか顔面打撲等の傷害を受けたことも前示のとおりであるから、右(4)(一)のとおり右行為に至る背景事情及び原告一郎についての懲戒の対象となるべき行状があったとしても、これをもって、被告乙山の右行為の違法性を阻却すべき事情とすることはできず、他にその違法性を阻却すべき事情を認めるに足りる証拠はない。この点に関する被告らの主張も採用することができない。

5  抗弁1(四)(請求原因2(二)の行為に関する懲戒権行使の状況及びその正当性)について

被告らは、被告乙山の請求原因2(二)にかかる行為も懲戒権の行使としてなされたものであるから違法性が阻却される旨主張する。

しかし、学校生活上の規律に反する行為をした生徒に対し教員が懲戒を加える場合であっても、その方法については、対象となる行為の軽重、生徒の性格及び普段の行状、懲戒を加えることによって本人が受ける影響、他の生徒に与える影響等の諸事情を考慮し、教育的配慮に欠けるところがないよう慎重にその選択をすべきものと解するのが相当である。本件において被告乙山がとった措置は、前記二3(一)に判示したとおり、教室内で原告一郎に対し「もういいから帰れ。二度と来るな」、「もし学校に来たいんなら、親と一緒に来て俺の前で土下座して謝れ」等と大声で怒鳴り、同人をして学校を退出し、欠席するに至らせたというものであることからすれば、同被告の行為は懲戒の範囲を逸脱し、教育的配慮を欠いた違法なものといわざるをえず、原告一郎に前記二3(一)で判示したような無断欠席等の懲戒の対象となるべき行為があったことをもって正当な懲戒権の行使として被告乙山の右行為の違法性が阻却されるものとすることはできない。

なお、被告乙山は、その本人尋問において、原告一郎に帰れ等と言った真意は同原告に本気で反省させることにあったのであり、翌日には登校すると思っていた旨供述するが、仮にそうであったとしても、同被告の前示のような言動・態度は原告一郎に対して適切であったとはいい難く、同被告の行為の違法性を阻却し得るものではない。他に同乙山の行為は違法性を阻却すると認めるべき事情は見出し難い。

以上のとおり、被告乙山の右行為は正当な懲戒の範囲を逸脱した違法なものというべきであり、この点に関する被告らの主張は採用することができない。

四  抗弁2(和解)について

1  《証拠省略》によれば、乙田竹夫の父松夫は、原告花子からの連絡及び竹夫の話から、竹夫が被告乙山に殴られたことを知ったこと、そこで松夫は、昭和五六年九月二六日午後九時ころ、竹夫を殴った理由を聞くため被告乙山に電話したこと、その際、松夫と被告乙山との間で口論となったため、同夜、乙田宅に濱島教頭、被告乙山、丙田梅夫の両親、原告太郎及び同花子が集まったこと、そこでは松夫と被告乙山との間の口論の件が中心に話し合われ、結論が出なかったこと、同年一〇月一日、岡村校長、濱島教頭、吉田誠、吉田正幸、佐藤祐一及び染井各教諭、被告乙山、水村彰豊岡中PTA会長、丙田梅夫の両親、原告花子が再び乙田宅に集まったこと、そして水村会長が中心となり、被告乙山が生徒を殴った件については、懲戒権の一環であるとする学校側と行きすぎであるとする父兄側との間で見解の相違があったが、今後は連絡を密に取ってこのような事態が起きないようにする旨の確認がなされたこと、原告花子は、その後話がどのように進展したかを岡村校長や乙田松夫に尋ねたが、岡村校長からは子供と被告乙山が話し合うことになっていると言われ、また乙田からは「うちはもういいから、お宅だけやったらどうか」と言われたことの各事実が認められる。

2  しかし、右事実によっても、原告らと被告乙山との間で、昭和五六年九月二六日被告乙山が原告一郎に暴行を加えたことについて和解が成立したことを認めることはできず、他に右当事者間で被告乙山の右行為について和解が成立したことを認めるに足りる証拠はない。

3  したがって、その余の点について判断するまでもなく、抗弁2は理由がない。

五  抗弁3(消滅時効)について

1  抗弁3(一)の事実のうち、原告らが被告乙山の行為及び損害を知った日については、原告らにおいて明らかに争わないから自白したものとみなす。

2  同事実中期間経過の点、並びに被告乙山及び同市が第二回口頭弁論期日において、被告県が第四回口頭弁論期日においてそれぞれ時効を援用したことは、いずれも当裁判所に顕著である。

六  再抗弁(時効中断)について

再抗弁1(催告)の事実は、《証拠省略》によりこれを認めることができ、同3(訴えの提起)の事実は、当裁判所に顕著である。

七  抗弁5(国家賠償法適用による免責)について

被告乙山の原告一郎に対する本件各行為は、豊岡中の教諭として、その職務を行うについてなされたものであることはすでに判示したところから明らかであるところ、公立中学校における教諭の教育活動は、国家賠償法一条一項の「公権力の行使」に該当すると解すべきであるから、被告乙山の前記の各不法行為については、同項により被告市がその責任を負い、被告乙山は個人としての責任を負わないと解するのが相当である。

八  被告市及び同県の責任

1  被告市が被告乙山の前記本件各行為について国家賠償法に基づく損害賠償責任を負うことは、前示のとおりである。

2  被告県は、市町村立学校職員給与負担法一条により被告乙山の俸給等の費用を負担するものであるから、国家賠償法三条一項に基づき、被告乙山の本件各行為によって原告一郎に生じた損害を賠償すべき責任を負うことは明らかである。

九  損害について

1  原告一郎の負った前記各傷害の程度、被告乙山の前示言動及びこれにより原告一郎が同月一五日早退以降同月一八日まで登校しなかったこと、被告乙山が本件各行為を行うに至った前示のような経緯、この前後の原告一郎の行状及び態度、その他本件に関する一切の事情を合わせ考慮すると、被告乙山の本件各行為により原告一郎の受けた精神的苦痛に対する慰謝料は、本件各行為につきそれぞれ一〇万円合わせて金三〇万円が相当である(なお、原告一郎は被告乙山による前示暴行により持病の腎炎が悪化したと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。)。

2  また、原告太郎及び同花子は、同一郎が受けた肉体的・精神的苦痛により自らも精神的な苦痛を受けたとして慰謝料の支払を求めているが、被害者の父母が自らもその精神的苦痛について慰謝料請求権を取得するのは、被害者が生命を害された場合(民法七一一条)か、又は生命を害された場合にも比肩すべき苦痛を父母が受けた場合に限られると解すべきところ、本件はそのいずれの場合にも該当するとは認められないから、原告太郎及び同花子の本件慰謝料請求は失当である。

一〇  結論

以上のとおりであるから、原告一郎の本訴請求は、被告市及び同県に対し合計して三〇万円の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、同原告の被告市及び同県に対するその余の請求並びに被告乙山に対する請求、原告太郎及び同花子の被告らに対する本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川英明 裁判官 熱田康明 裁判官石川恭司は、転補につき、署名押印することができない。裁判長裁判官 小川英明)

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